大判例

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広島高等裁判所 平成元年(ネ)99号 判決

控訴人

冨嶋茂

冨嶋克子

右両名訴訟代理人弁護士

大口昭彦

被控訴人

西川良平

蒲池真澄

右両名訴訟代理人弁護士

末永汎本

主文

一  本件控訴を棄却する。

二  控訴費用は控訴人らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  控訴人ら

1  原判決を取り消す。

2  被控訴人らは、各自、控訴人冨嶋茂に対し、金二〇三五万九九三三円及びこれに対する昭和五一年四月二三日から支払ずみまで年五分の割合による金員、並びに、控訴人冨嶋克子に対し、金三二二三万九八六六円及びこれに対する昭和五一年四月二三日から支払ずみまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

3  訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人らの負担とする。

4  仮執行宣言

二  被控訴人ら

主文同旨

第二  当事者の主張

次に付加する外は、原判決事実摘示(原判決二枚目表二行目から同一四枚目裏六行目まで)のとおりであるから、これを引用する。

(当審における控訴人らの補充主張)

第一  医療過誤訴訟における主張立証責任と原判決の誤謬

一  医療過誤訴訟における主張立証責任

本件のような医療過誤訴訟においては、一般不法行為における過失責任主義や主張立証責任が形式的に適用されてはならず、事案の高度な専門化、複雑化や知識・訴訟資料の偏在化等を考慮すると、被害者の救済という不法行為法、民事訴訟制度の趣旨からして、いわゆる「一応の推定による証明責任の転換」論、「疫学的証明」論等の法理が適用されるべきである。判例理論においても、訴訟における因果関係の証明について、一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして全証拠を総合検討し、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認しうる高度の蓋然性を証明することであり、その判定は、通常人が疑を差し挟まない程度に真実性の確信を持ちうるものであることを必要とし、かつ、それで足りるとされており(最高裁判所昭和五〇年一〇月二四日判決参照)、また、ビタミン剤注射により右腕が化膿した事案につき、化膿と注射行為との間に因果関係が認められる以上、特別の事情がない限り、医師の注射行為に過失があると認めて差し支えなく、更に注射液の不良によるか注射器の消毒不完全によるか確定する必要はないとされている(最高裁判所昭和三二年五月一〇日判決参照)。

これを本件についてみると、医師である被控訴人らが患者であるスエ子に対する十分な観察を怠り、必要な検査もなさないまま、多種多量の薬剤を長期間安易に投与した結果、顆粒球減少症(以下「本症」ともいう。)を発症させて骨髄の白血球(好中球)産生機能を破滅的に障害してしまい、抗細菌抵抗力を失わせて死に至らせてしまったものであり、被控訴人らも、同人らが投与した薬剤がスエ子の死の原因であったことは争っていない。そうすると、右判例理論からしても、被控訴人らの医療行為とスエ子の本症発症との間の因果関係の認定は十分であり、被控訴人らの過失も事実上推定されるというべきである。したがって、本件について、被控訴人らが無答責性を主張するのであれば、被控訴人らの医療行為とスエ子の本症発症についての因果関係がないこと、あるいは、過失が存在しないことについて積極的に主張、立証すべきである。しかしながら、本件の第一、二審を通じて右主張、立証は一切されていない。

二  原判決の誤謬性

原判決は、要するに、本件において投与された薬剤が多種で、それらのいずれが本症発症の起因剤か特定できないとして、被控訴人らの医療行為とスエ子の本症発症との因果関係が認め難いと判示する。しかしながら、本件では、被控訴人西川は、医師として当然なすべきであった検査や経過観察を怠り、スエ子の本症の発症時期や経過を具体的に特定することを困難にさせており(このこと自体が同被控訴人の医療過誤である。)、右によって解明が妨害された立証の不利益を被害者である控訴人らの側に負担させるべきではない。また、後述するとおり、骨髄における好中球産生機能に障害的に働く作用を有する薬剤(いわゆる中毒型)が複数、連続的に投与されれば、それらの骨髄抑制作用は総和的、相乗的に働くものであって、本件では、被控訴人らが投与した各薬剤について本症発症の可能性を個別的にのみ検討する手法は採られるべきではなく、これら一連の投薬を全体として一個の過失行為とみるべきである。さらに、本件では、被控訴人西川の投与したいずれかの薬剤が本症を発症させたことは疑いがなく、そうであれば、共同不法行為者間の共同責任の法理と同様に、一人の行為者のなした一連の複数過失行為全体を一個の行為とみて責任を論ずべきである。

以上からすれば、控訴人らの側においては、本来論ずる必要がなく、被控訴人らの側において論証すべき事柄であるが、念のため、以下、被控訴人らの投薬とスエ子の本症発症との因果関係及び被控訴人らの有責性について論述することにする。

第二  被控訴人らの投薬とスエ子の本件発症との因果関係

一  顆粒球減少症について

スエ子が本症に罹患して死亡したことは争いがないところ、被控訴人らの投薬とスエ子の本症発症との因果関係について論じる前提として本症について確認しておく。

1  症状

本症の発症前一、二日間に易疲労感、無気力感ないし不安感等の特有な前駆症状がみられ、次いで全身状態として悪寒、戦慄、高熱、発汗、頭痛、筋肉痛、衰弱感等が現れる。局所症状としては、粘膜、特に口腔、咽頭粘膜の発赤、腫脹、壊死、潰瘍が現れる。

顆粒球(とりわけ好中球)は、白血球内の主要構成要素で人体内に侵入した細菌を捕食消化分解する重要な機能を果たし、その減少により当然細菌に対する抵抗力の低下を来す。その影響は全身に出現するが、とりわけ外界の細菌に汚染され易い部位、すなわち口腔部粘膜等に炎症を起こし、腫脹、壊死等の症状を発現させることになる。

2  検査所見

血液検査の所見では、末梢血液に白血球中の顆粒球(とりわけ好中球)が顕著に減少しており、一ミリリットル中の顆粒球が一五〇〇ないし二〇〇〇個以下を減少と考えてよい。右が一〇〇〇個以下では、細菌感染に対する危険が増大し、五〇〇個以下では、その危険性が急激に高まる。

骨髄検査においては、重症例では好中球細胞の顕著な低形成を示す。

3  発症原因

本件では薬剤以外には原因が存在しないので、以下、薬剤に限定する。

薬剤による顆粒球(好中球)の減少は、(一)薬剤による顆粒球産生の抑制と、(二)免疫学的な機序による破壊の亢進によって起こり、右二つの機序のいずれかによるのかは明瞭でなく、両方が関係する場合も少なくないとされているが、いずれにせよ、顆粒球減少症は薬剤の投与に際して常に留意すべき臨床的に重要な副作用である(甲第八〇号証)。

薬剤の中で、顆粒球産生の低下を特定の人だけに起こすものとしては、サルファ剤、抗細菌薬があり、顆粒球破壊の亢進を起こすものとしては、アミノピリン及びアミノピリンを含む市販鎮痛剤がある(なお、サルファ剤の種類によっては右二つが両様に働く場合もある。)。

また、右(一)による本症の発症を広義の「中毒型」、そのうち一定量を使用すると必ず起こすものを狭義の「中毒型」とし、一方、特定の人だけに起こすものを「過反応型」、(二)による本症の発症を「アレルギー型」と呼称している文献もある。

以上よりして、薬剤の副作用としての本症は、薬剤の中毒作用による骨髄抑制、薬剤に対する免疫的機序による顆粒球の破壊の亢進等を原因として白血球中の顆粒球が減少するために発症する。

4  予防

本症の早期発見には、本症を引き起こす副作用を持つ薬剤を記憶しておき、その使用時には注意して頻回に血液検査を行うのがよく(白血球の数のみでなく、その分類も行う。)、特に使用を始めて一〇日間は注意を要する。また、本症に特有な症状を患者によく説明しておき、これらに気付いたときは直ちに報告するよう教育しておくことも大切である(甲第三〇号証)。

5  治療

本症の治療としては、早期発見、原因薬剤の即時中止が必要であり、発症前六週間以内に用いられた疑わしい薬剤は一切服用を中止しなければならない。次いで、二次感染の誘発を防ぎ、顆粒球産生の回復を待つことになる。抗生物質の投与は、顆粒球数一〇〇〇/ミリリットル以下では有熱の時が原則で、それまでは、感染症罹患の有無、発熱の経過、常用薬品及び身体的検査とともに血液検査を行い、経過観察に重点を置き積極的治療を行わない。

6  予後

早期に原因薬剤の投与を中止すれば、特別の治療なしに回復する例もしばしば見られる。

重篤な場合には、敗血症を発症して死に至る場合もある。

二  スエ子の本症発症経過

1  被控訴人らによる薬剤投与

スエ子に対する被控訴人らの薬剤投与及びスエ子の症状は、別紙「冨嶋スエ子の医療(投薬)状況並びに症状」に記載のとおりである。

右のとおり、被控訴人西川がスエ子に投与した薬剤は驚くべく多種かつ多量にわたっているが、これらのうちで本症発症の可能性のあるものは、抗生物質であるリンコシン、ラリキシン、ソルシリン、ネオマイゾン、複合トローチ、ピリン系剤であるオベロン、グリンケンH、サルファ剤であるケルヘチーナ、非ピリン系解熱消炎剤であるPL顆粒、バファリン、ソランタール、鎮咳剤である濃厚ブロチンコデイン液、フスタゾール等である。また、被控訴人蒲池がスエ子に投与したリンコシンも、本症発症の原因となるものであり、常用量の二ないし四倍もの高単位の量が投与されている。

2  本症による症状の発現

もともとスエ子は、風邪の治療のため被控訴人西川の診察を受けたものであり、本来風邪はウイルス性疾患で第一次的に安静、栄養補給等の対症療法がなされ、なお症状が軽快しない場合に一定の抗菌剤等が投与されることになり、長くても二週間程度で治癒をみるものである。しかるに、スエ子の場合、安静に努め、特に肺炎等の二次感染もなく、被控訴人西川医師の継続的治療を受けてきたのに、風邪の症状では説明できない本症発症の特有症状とみられる症状が発現している。

すなわち、スエ子は昭和五一年三月一四日(以下、同年につき年号を省略する。)ころから発熱と咽頭痛があり、同月一七日から被控訴人西川医師の診察を受け、同医師のカルテによっても、一八日には「非常によい。下熱」と早期に軽快し、一九日に軽い咳がみられたのみで、二二日、二四日には「もう一寸」と記入があるだけで、すでに風邪自体はほぼ治癒していたといえる。しかるに、三月二四日には急性扁桃腺炎が起き、四月一日になって、突如「咳少し」の症状が発現し、三日からの熱感、五日の高熱(三八度)が見られ、七日には筋肉痛である「両肩痛」が記録されている。さらに、同日には、それまでの連日の抗細菌薬及び鎮咳薬の投与にもかかわらず、「咳少々」と喉の異常を訴え、一〇日には「熱はないが咳がひどい」と訴えて、一二日には耳鼻咽喉科の原八洲雄医師の診察を受け、「慢性咽喉頭炎」と診断されて総合病院への転医を強く勧められている。しかも、四月一一日ころからスエ子の背中や手に麻疹様の発疹が現れ、一四日には、右症状がひどくなって被控訴人西川医師にその旨訴えている。

これらを総合するならば、スエ子には三月二四日ころから風邪の症状では説明のつかない異常が出始めており、本症特有の症状とされるところが種々に発現していることが看取されるのである。

3  検査結果とスエ子の死亡

右のとおりスエ子には本症特有の症状が発現していたのに、被控訴人西川医師の診察過程では本症の早期発見に不可欠な血液検査が一切なされず、被控訴人蒲池医師が四月一四日に至りようやく血液検査を実施したが、すでに白血球数は二八〇〇/ミリリットル(顆粒球は多くても一四〇〇/ミリリットル、少ない場合は〇もあり得る。)と顕著な減少状態に陥ってしまっており、国立病院に転医した四月一六日の血液検査では、白血球数は一八〇〇/ミリリットルに減少しており、分画検査では好中球は〇となって本症が血液学的にはほぼ完成という状態になり、四月一八日のミエログラムでは骨髄中の顆粒球細胞も〇が確認された。右の段階で、スエ子は国立病院の医師から死が避けられないと宣告され、四月二三日に本症により敗血症を起こして死亡するに至ったものである。

三  スエ子の本症の発症原因

スエ子の本症の発症は、被控訴人西川による本症の副作用を伴う薬剤の投与によるものであり、それに続く被控訴人蒲池のリンコシンの過剰投与が本症の進行を増悪させたものとみるべきである。

すなわち、内科臨床医の市村公正医師も、スエ子の本症発症の原因は、抗生物質及びサルファ剤、解熱剤等の継続的投与によるものと考えるのが妥当であり、一般的には感冒の合併症(扁桃炎等)または発熱を伴う感染症の場合に白血球が増加するのに、スエ子の場合は著しく白血球、殊に顆粒球が減少しており、これは三月一七日からの被控訴人西川医師による塩酸リンコマイシン(リンコシン)、セルファレキシン(ラリキシン)の継続的投与に加えてスルファメトピラジン(ケルヘチーナ)を大量にかつ漠然と投与したことに基因するとしており、風邪の一般的治療方針としては、解熱剤等感冒薬を用いて症状が改善しない場合に抗生剤を用いるべきであり、当初より解熱剤と抗生剤を使用すれば、副作用殊に血液の障害を起こす可能性が大であると指摘している(甲第一一一号証の一、二)。

そして、スエ子の罹患した本症の類型は、いわゆる「中毒型」であって、「アレルギー型」ではない。けだし、アレルギー型の場合、投薬量の多少を問わず体内での急激な抗原抗体反応から極めて短期間のちに発症するとされているところ、時間的にみてその可能性があるのは、被控訴人西川医師により四月一〇日から一二日に投与されたネオマイゾンのみであるが、同剤は従前の例からして中毒型と考えられ、投与中止後も病態が進行した例は報告されていないからである。そして、他にアレルギー型の本症を発症せしむる投薬はない(PL顆粒も四月一三日まで投与されているが、それ以前から投与されており、これによりアレルギー反応が生じたとすれば、もっと早期に急性の症状が出た筈で、これも除外される。)。

しかも、スエ子の本症の発症経過をみると、前記のとおり、三月二四日ころから高熱や咽頭痛等の本症の症状が現れており、この点からも、四月一〇日から投与が開始されたネオマイゾンがスエ子の本症発症の起因剤でないことは明らかである(但し、ネオマイゾンが本症に対して有害であり、これがスエ子の本症を増悪させたことは明白である。)。

一方、被控訴人西川のスエ子に対する治療をみると、三月二二日から四月二日にかけてサルファ剤のケルヘチーナが、一日の常用量一〇〇ないし二〇〇グラムのところが一日六〇〇グラムと三ないし六倍も過大に投与されており、右薬剤が顆粒球産生の低下を起こし、本症の起因剤となることもある旨警告されていること(甲第八〇号証、第九〇号証、第一〇三号証)からすれば、右薬剤がスエ子の本症発症の起因剤であるというべきである。

さらに、被控訴人西川は、診療当初からピリン系一種、非ピリン系二種の解熱剤、鎮痛剤という多種多量の薬剤を投与してきた他、リンコシン、複合トローチ、ラリキシンという三種もの抗生物質を投与しており、これら本症発症の副作用のある多種、多量の薬剤使用により、スエ子は相乗的ないし総和的に薬物の毒性を蓄積され、骨髄に致命的攻撃を受けてしまったものである。

前記市村医師も、三月二四日から四月一〇日までの間にスエ子の血液、殊に白血球像について検査をした記録が不明なので断定できないが、この期間に本症が始まったと推定でき、そのため四月一一日ころに薬疹の形で副作用が表面化したものであるとの意見を述べている(甲第一一一号証の二)。

四  スエ子の本症の進行(増悪)

ところで、いわゆる中毒型の本症は、用量依存的で骨髄に加えられる攻撃が強く長いほど受けるダメージが大となり、逆に、投与が中止されれば骨髄の顆粒球産生能力が回復に向うところ、被控訴人西川によるケルヘチーナの投与は四月二日を最後としているのに、その後のスエ子の病勢はどんどん進行し、最後は劇しい症状を示して死の転帰を辿ったことは何に由来すると考えるべきか。それは、被控訴人西川によるその後の薬剤濫用と、四月一四日からの被控訴人蒲池によるリンコシンの過剰投与による本症の増悪の結果である。すなわち、被控訴人西川は、スエ子が四月五日に再度高熱を出したのに対して抗生物質ソルシリンを、咳などの風邪症状に対してピリン系感冒薬オベロン筋注、グリンケンH、非ピリン系感冒薬PL顆粒を投与しているが、PL顆粒は劇薬に指定されている他、これらの薬剤はいずれについても副作用として本症が起こり得ることが警告されている。しかし、被控訴人西川の右投薬にもかかわらず、スエ子の喉痛は、軽快するどころか悪化し、七日には両肩の痛み(筋肉痛)まで加わって、本症の典型的ともいえる症状が現れている。しかも、被控訴人西川は、スエ子から「咳がひどい」と強い咽喉痛を訴えられて、四月一〇日からは強い骨髄毒性を有し使用中止となっていたクロラムフェニコールの誘導体であり、一定の骨髄抑制性を有し劇薬に指定されているチアンフェニコール(ネオマイゾン)を四日間も投与した。かくして、スエ子の骨髄は打撃に次ぐ打撃を被り、四月一一日には薬疹も発生して本症の一層の進行が如実になり、前記血液検査の結果のとおり、スエ子の白血球は四月一四日に二八〇〇/ミリリットルであったのが、四月一六日には一八〇〇/ミリリットルに減少し、遂には好中球が〇になる状態に陥ったのである。そうすると、四月一〇日から一三日にかけて被控訴人西川が投与したネオマイゾンが本症に対して有害でこれを増悪させたことは明白であるが、チアンフェニコールの毒性は中毒型であるとされているから、四月一四日の投与中止後も、これほど急激に本症が悪化、進行することはあり得ないところであり、ここで考えられるのが、被控訴人蒲池がスエ子に投与した過剰量のリンコシンである。同被控訴人は、常用量として指示されている量の二ないし四倍もの高単位のリンコシンをスエ子が「注射をすると動悸がする」と言って苦しがっているのに投与し続けたものであり、右薬剤は本症の副作用が報告指摘されている抗生剤であって、その後の血液検査の結果にみられる本症の激烈な進行経過は、リンコシンによる増悪作用の存在によって初めて説明が可能なものである。

五  まとめ

以上によれば、スエ子の本症は、被控訴人西川による本症の副作用を有する多種、多量の投薬によって従前の骨髄の疲弊に加えての、とりわけケルヘチーナの血液毒性により発症し、その後の同被控訴人によるネオマイゾン等の投与と被控訴人蒲池によるリンコシンの投与によってさらに増悪、進行したものというべきであり、被控訴人らの薬剤投与とスエ子の本症発症との間に因果関係があることは明らかである。

第三  被控訴人らの有責性

一  被控訴人西川の責任

1  過剰治療、観察過怠、検査義務違背、誤診療等

(一) スエ子の治療依頼は単なる風邪であり、これに対しては、本来、簡単な対症療法の後は安静を保つ旨の指示をなし、経過を観察することで足りた筈である。しかるに、スエ子に対し、当初より、ピリン系一種、非ピリン系二種の感冒薬の他に三種もの抗生物質を投与するという過剰治療をなし、後の本症発症の下地を作った。

(二) その後、スエ子の風邪の症状はほぼ治まっていたのであるから、経過を見るに止める必要があったのに、漫然と常用量の三ないし六倍にも達するサルファ剤の投与を不必要にも続け、その結果、スエ子に本症を発症させた。

(三) サルファ剤、抗生剤、鎮咳剤の投与によっても、スエ子の微熱がとれず、咽喉の痛みが続いているという症状からして、遅くとも三月二九日ころまでにスエ子の血液障害をも疑い血液検査等をなすべきであったのに、これを怠った。

(四) 四月五日、種々の治療、安静にもかかわらず、スエ子が再度発熱したという重大な症候があったのであるから、対症療法として別の薬剤を投与したり、検査の上その原因を追求すべきであったのに、これを怠り、漫然と抗生剤等を投与し続け、スエ子の本症を増悪せしめたことは、明らかな検査義務違背に基づく誤診療である。

四月七日からのスエ子の両方肩痛の診断治療、四月一〇日からの強い咽喉痛、咽喉炎の診断治療についても、右と同様である。

(五) 四月一一日、スエ子に発症した薬疹に一二日には気付くべきであり、その上で直ちにネオマイゾンの投与中止、血液検査等をなし、さらには総合病院への転医をもなすべきであったのに、これを怠ったため、スエ子の本症を増悪させた。

(六) スエ子を転医させるに当たって、従前の診療経過について詳細かつ正確な情報を後医に提供せず、一層の誤診察をなさしめた。

2  転医妨害

スエ子本人や控訴人らが国立病院への転医を強く求めたにもかかわらず、「ベッドが満床である。」などと虚言を弄してまで転医を妨害し、かねて知り合いの非専門医である被控訴人蒲池の経営するカマチ病院へ無理に転医させた。

二  被控訴人蒲池の責任

1  検査義務違反等

四月一日、スエ子に対する一応の血液検査はなしたが、必須である分画検査まで行わず、不正確な血液像しか把握できなかった。また、血液検査については、それまでの経過やスエ子の症状からして、可及的速やかに結果を把握すべきであったのに、これを怠り、必要な情報を得ることができなかった。

2  誤診療等

四月一四日には、スエ子の症状の経過、観察によって本症が十分疑われる状況にあり、至急血液像を確認した上で過去六週間に遡って使用された薬剤は全て投与を中止し、さらに骨髄抑制作用のある薬剤投与については特に慎重に行うなどの注意義務があった。しかるに、右検査を急がず、過去に使用された薬剤の詳細な情報提供を求めず、漫然と、被控訴人西川が当初スエ子に投与していた本症の副作用のあるリンコシンを使用した。

しかも、当時はスエ子には発熱もなく、特に抗生剤により感染症を抑える必要もなかったにもかかわらず、指示された常用量の二ないし四倍のリンコシンを投与し、スエ子の本症を増悪させた(この段階での好中球数は不明であるが、当審喜多嶋鑑定の結果でも一四〇〇/ミリリットル以下であって、経過観察をなしつつ骨髄の回復を待つべきとされており、発熱等のない限り、むしろ薬剤投与は禁忌とされているのである。)。

3  被控訴人西川の隠蔽工作への加担等

被控訴人蒲池は、そのカルテの記載に「チアンフェニコール使用のため医薬品による皮疹との診断(西川先生)にて」とある如く、被控訴人西川からスエ子の本症発症につき情報を得ており、スエ子の経過、症状より医師として当然に本症を疑う筈のものであった。ところが、被控訴人西川と意を通じ、殊更に「風疹」を疑ったかのようなカルテ記載等をなすとともに、その旨記載した紹介状を国立病院に提出し、被控訴人西川の隠蔽工作に加担した。

三  被控訴人らの共同責任

以上のとおり、被控訴人らの過失行為によって、スエ子の本症が発症し増悪したものであって、四月一六日にはスエ子の本症が血液学的にはもはや完成して、その後の国立病院での必死の回復措置をもってもスエ子の死は免れなかったものであり、被控訴人らは、スエ子の死亡について共同不法行為者として連帯して責任を負うべきである。

(右主張に対する被控訴人らの認否)

当審における控訴人らの主張については、いずれも争う。

第三 証拠関係

原審及び当審記録中の各書証目録及び証人等目録に記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  当事者について

控訴人茂はスエ子(大正七年三月一三日生)の夫であり、控訴人克子はスエ子の子であること、被控訴人西川は「ニシカワ医院」を、被控訴人蒲池は「カマチ病院」を、それぞれ下関市内で開業している医師であることは、当事者間に争いがない。

二  被控訴人らによるスエ子の診療経過について

次に、付加、訂正する外は、原判決理由中の「二 診療経過について」欄(原判決一五枚目表五行目から同二三枚目裏一〇行目まで)に記載のとおりであるから、これを引用する。

原判決一五枚目表七行目の「第四号証の一八、一九、」の次に「弁論の全趣旨により成立を認める甲第六四号証、」を加え、同一一行目及び同一五枚目裏二行目から三行目にかけての各「証人村上紘一、同山田寿美子」を、いずれも「証人山田寿美子」と改める。

同一八枚目裏一〇行目から同一二行目までを削除し、同末行から同一九枚目表一行目にかけての「スエ子は右発疹の症状がひどくなったため、その旨被告西川に訴え、」を「スエ子は発疹が生じてきたことを被控訴人西川医師に訴え、その発生が五日前からと答えたため、」と改める。

同二九枚目裏一二行目の「病院からいずれも」の次に「満床を理由に」を加える。

同二〇枚目表六行目の「依頼し」の次に「、スエ子に発疹が生じており、風疹と疑われるが判然としない旨伝えて諸検査及び治療を宜しく頼む旨引き継ぎの連絡をし」を加える。

同二〇枚目裏四行目の「筋注をした後」を「筋注をすることとし、」と改め、同六行目の「退院後」の次に「の四月一六日」を加える。

同二二枚目裏一行目の「顕著な減少が認められ」の次に「、好中球が〇であることが確認され」を加え、同二行目の「検査結果が得られた。」を「検査結果が得られ、村上医師は同日(四月一六日)右検査結果からスエ子が本症に罹患していると診断したものの、薬剤投与の中止により自然回復もあり得ることから数日間は様子を見たうえ本格的治療を進めることとし、当面は保存的治療として本症の副作用を有する薬剤の投与を中止し、リンデロン(副腎皮質ホルモン剤)を同日の朝、夕、翌一七日、一八日にビタミン剤と共に投与して、一九日には骨髄中の白血球とりわけ顆粒球の産生を確認するため骨髄像検査(ミエログラム)を実施することにした。」と改める。

同二二枚目裏三行目の「右検査結果に接した」及び「直ちに」をいずれも削除し、同行の「村上医師は」の次に「血液学を専攻する井上国昭医師(昭和五〇年四月に国立病院内科医長を退職し下関市内で開業していた。)に依頼して」を加える。

同二三枚目表七行目から同裏一〇行目までを削除する。

三  本症について

成立に争いのない甲第二九号証ないし第三九号証、第六九号証ないし第七一号証、第七三号証ないし第八一号証、第九一号証、第九六号証、乙第四号証の一ないし一三、第一〇号証ないし第一二号証、原審における村上紘一及び同井上国昭の各証言、当審における鑑定人喜多嶋康一の鑑定結果及び同鑑定人の証言(以下「喜多嶋鑑定」と総称する。)並びに弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる(個々に書証番号等を付さない部分は、主に喜多嶋鑑定による。)。

1  本症(顆粒球減少症)とは、何らかの原因により末梢血液中の白血球のうち顆粒球が正常範囲以下に減少することにより惹起された病態をいい、通常、顆粒球の大部分(九五パーセント)を占める好中球数が一五〇〇/ミリリットル以下に減少した場合を指し、好中球減少症とほぼ同じ意味に用いられている。好中球数が一五〇/ミリリットル以下にまで減少した場合には、無顆粒球症とよばれる。

白血球の正常値は七〇〇〇/ミリリットルといわれているが個人差が大きく、七〇パーセントの人をとると最高八五〇〇/ミリリットルから最低五〇〇〇/ミリリットルとなり、うち好中球が約五〇パーセントを占め、遊走能と貪食能によって体内の細菌等を消化、分解する重要な機能を担っている(乙第四号証の五、衣笠恵士、毎日ライフ)。

2  本症の主な発症原因は、次のように分類され、これらの原因により、骨髄における顆粒球産生の低下または末梢での顆粒球の消費、破壊の亢進、あるいは両者の合併が惹起され、本症が発症する。

(一)  物理的原因による場合(放射線、放射性物質などによる)

(二)  薬剤に起因する場合

(三)  各種基礎疾患が存在する場合

(1) 感染症(細菌、ウイルス、リケッチア、原虫などによる)

(2) 血液疾患(急性白血病、悪性リンパ腺、多発性骨髄腫、骨髄繊維症、再生不良性貧血、巨赤芽球性貧血、発作性夜間血色素尿症など)

(3) 癌の骨髄転移

(4) 脾機能亢進症

(5) 同種免疫、自己免疫疾患(エリテマトーデス、フェルティー症候群など)

(6) 遺伝性、先天性、家族性あるいは特発性好中球減少症

(四)  その他

3  右のうち薬剤に起因する本症は、軽症例まで含めると、薬剤による血液障害の中ではその頻度が最も高く、その発症機序は次のとおりである。

一般に薬物の副作用は、その発症機序から「中毒性」と「アレルギー性」に大別される。「アレルギー性」のものは、薬物自体(あるいはその代謝物)がハプテンとして体内の蛋白と結合して抗原となり、生体がそれに対する抗体を作り(感作という)、次に薬物が体内に入ったときに抗原抗体反応が起こり、その結果として種々の障害(アレルギー反応)が惹起される。一方、「中毒性」のものは、薬物固有の作用が現れたもので、投与量が多過ぎた場合に惹起される。ところが、薬物の投与量が通常使用量の範囲内であっても、個人の素質によっては中毒性の副作用が現れることがあり、これを「過反応性」という。「過反応性」の結果としてみられる現象が「アレルギー性」による現象と類似しているときには、その両者の識別は実際上困難となる。そこで、アレルギー性と過反応性を総括して「薬物過敏症」として取り扱われることが多い。

薬剤による本症についても、その発症機序からみると、(一)中毒性、(二)過反応性、(三)アレルギー性の三つが考えられ、中毒性の場合は、薬剤が直接白血球を障害するか、または薬剤が造血必須物質の代謝あるいは利用の障害を起こすことによって骨髄における造血を障害する。過反応性の場合は、素質の上に薬剤の固有作用が現れるものであるから、発症機序としては中毒性である。アレルギー性の発症機序については多くの可能性が考えられ、抗原としては、薬剤と血漿蛋白との結合物、薬剤が結合したためノットセルフ(自己以外のもの)となった血球などが考えられ、それぞれに対する抗体が生じ(感作)、次に同じ薬剤が体内に入った場合に種々なかたちで抗原抗体反応が起こり、本症が惹起される。

4  中毒性機序で本症を起こす薬剤としては、アルキル化剤(エンドキサン等)、代謝拮抗剤(ロイケリン、キロサイド等)、抗腫瘍性抗生物質(ダウノマイシン等)、抗腫瘍剤等があり、過反応性機序で本症を起こす薬剤としては、鎮痛、解熱剤(アスピリン、フェナセチン等)、精神神経薬(コントミン等)、サルファ剤(サイアジン等)抗甲状腺剤(メルカゾール等)、抗痙攣剤(アレビアチン等)、抗不整脈剤(ギルリトマール等)、経口糖尿病剤(オイグルコン等)、抗生物質(クロロマイセチン等)、非ステロイド系鎮痛・解熱消炎剤(インダシン等)等がある。

一方、アレルギー性機序で本症を起こす薬剤の代表は、アミノピリンであり、これを含む鎮痛・解熱剤はもとより、過反応性機序で本症を起こすとして列挙した前記薬剤の多くが含まれる。

5  本症の病型としては、急性型と慢性型、重症型(劇症型)と軽症型などに分類される。軽症型や慢性型の初期では、多くの例で殆ど無症状であるが、発症前一ないし二日簡易疲労感、無気力感ないし不安感などの特有な前駆的症状がみられ、急性劇症型では、重症感を持った全身倦怠感、食欲不振、頭痛、悪心などを伴って急激に高熱(しばしば悪寒戦慄を伴う。)を発し、強い咽頭痛を訴える。それを裏付けるものとして、壊疸性扁桃炎、口狭炎、口内炎などが生じ、扁桃、口腔粘膜、歯肉、舌、口唇などにびらんや潰瘍などが認められ、さらに進むと、食道、胃、腸にも潰瘍が生じ、嚥下困難、嘔吐、腹痛、下痢、鼓腸などが生じるに至る。顆粒球が五〇〇/ミリリットル以下に減少した状態が一定期間以上続くと、肺炎や敗血症などの重症な二次感染症を併発する。なお、本症の発症に伴い一旦発生した高熱は持続し、各種の解熱剤に反応し難く、むしろ増悪することが多い(甲第七六号証、高橋隆一、血液学)。

薬物に起因する本症でも、アミノピリンなどピラゾール系による症例は急性劇症型を呈し、フェノアジン、クロラムフェニコール、サルファ剤等による症例は比較的慢性型をとることが多いが、同一薬剤でも個々の症例によって経過が異なることがある。

本症は、通常、中年以降の人に起こることが多く、女性の方が男性より二ないし三倍頻度が高い(甲第七四号証、高久史麿、内科学書)。

6  本症の予後としては、急性型では経過が極めて速やかで、数時間から二ないし三日で前記症状が出揃うことが多く、原因が除去されない場合には本症(顆粒球減少症)から無顆粒球症になり、しばしば重症感染症を合併して死の転帰を辿る。重症例(二〇パーセント)は発病後二ないし三日で死亡し、主な死因は敗血症、肺炎である(甲第三〇号証、柴田昭、新臨床内科学)。薬剤に起因する本症の場合、当該薬剤の投与が完全に中止されると、軽症なら経過観察のみでも顆粒球は一ないし二週間で正常値まで回復する。中等症以上の場合でも、疑わしい薬剤の投与が全て一旦中止され、感染症を防止するための適切な抗生物質の選択投与、抗アレルギー作用等を有する副腎皮質ホルモン剤等による療法、さらに近年市販されるようになったG―CSF製剤(顆粒球コロニー刺激因子)の投与がタイミングよく行われれば多くの場合に回復を期待できる。回復に向かう場合の徴候としては、解熱及び全身状態の改善が挙げられ、白血球数も急激に増加し、一旦幼若顆粒球を伴って正常値以上にまで達し、類白血病反応の像を呈することも稀ではない。

7  本症の治療上、最も重要なことは早期発見、原因薬剤の即時投与中止であり、次いで二次感染の誘発を防ぎ、顆粒球が再び出現するまでの時期を乗り切ることが大切である。本症の早期発見には本症の副作用を有する薬剤を記憶しておき、その使用時には頻繁に血液検査(白血球の数のみでなく、その分類(分画)も)行うのがよく、特に最初の一〇日間は注意を要する。また、本症に特有な症状を患者によく説明しておき、これらに気付いたら直ちに報告するよう教育しておくことも大切である(前掲甲第三〇号証)。但し、本症の初発症状は、他の種々の疾患と非常に近似しているため、診断が早期に確立することは意外と困難なことが多いとも指摘されている(乙第四号証の六、月刊薬事)。

また、一般に薬物アレルギーの予防としては、既往歴から疑わしい薬物は避け、抗生剤や非ステイロイド性抗炎症剤では異なる系統のものを使用する。一剤に過敏な人は他剤にも過敏になり易い傾向があり、同じ薬物に対しては以前と異なる過敏反応を生ずることもあるので注意する(甲第三一号証、高橋昭三)。

特に注意を要するのは、薬剤に対する過敏反応として起こる本症で、発症が特定の人のみ起こり、しかも薬剤服用の途中でも起こるので、予測が困難であり、処置を誤ると致死的経過をとることがある。薬剤アレルギーによる本症が疑われるときは最近六週間に使用した疑わしい薬剤を一切中止する(甲第七〇号証、平嶋邦猛)。

8  本症の検査所見としては、血液所見において、顆粒球のうち好中球と好塩基球が減少し、好酸球は不変のことが多い。好中球数は一五〇〇/ミリリットル以下となり、時には全く消失する。好中球の細胞質内にしばしば中毒顆粒を認め、リンパ球や単球の数は当初は不変で、白血球分類上ではこれらの細胞は相対的増加の像を呈する。アレルギー性機序による本症の場合は、しばしば赤血球あるいは血小板の減少、時には、両者の減少を伴う。骨髄所見においては、疾患の重症度及び時期によって一定しないが、時には骨髄過形成像を示し、有核細胞数がむしろ増加することもあるが、通常は減少する。定型的な症例では、成熟好中球及び後骨髄球が減少することが多く、重症例では、顆粒球系細胞は全く認められず、赤芽球系、骨髄巨核球系、リンパ球系細胞並びに細網細胞などにより占められる。

9  薬剤に起因する本症の発症例についての調査において、発疹(薬疹)の発生が一二パーセントを占めたとの報告がある(甲第二九号証、大久保滉、新内科学体系)が、一般に日常臨床において、薬疹の出現率の方が薬剤起因性の本症の発症率よりも明らかに高いことは経験的にも良く知られており、薬疹が生じた症例の中の極く一部が同時にまたはやや遅れて本症を併発するものと考えられる(喜多嶋鑑定書二七頁)。したがって、薬疹の疑いのある発疹を認めた場合、同時に本症の併発を示唆する症候、すなわち、前記のとおり、とりわけ高熱、咽頭痛、口内痛と、それを裏付ける壊疸性扁桃炎、または口内炎の所見、あるいは全身状態としての重症感などが全く認められないにもかかわらず、全例に直ちに本症の発症を想定した血液検査等を実施すべきであるとまではいえない。もっとも、本症の発症に伴い薬疹としての発疹が生じる場合があることを考慮すれば、本症の副作用を有する薬剤の投与に当たっては薬疹とみられる発疹の発生について厳重な臨床経過の観察を怠るべきではないことは勿論である。

10  なお、本件では、本症による薬疹と風疹による発疹の識別が問題となっているところ、風疹は、ウイルス感染症の一種であり、約二ないし三週間の潜伏期間を置いて、稀に軽熱、食欲不振等の前駆症状を伴うが、通常は突然に発疹が生じる。発症後の主要徴候は発疹と後頸部リンパ腺の腫脹、発熱であるが、発疹は通常顔面に現れて四肢に及び、これらの発疹は、通常は二ないし三日間(稀に一週間)位で次第に消失する。薬疹等との識別は比較的容易であるとする指摘(甲第三五号証)もあるが、一方、風疹の発疹は思春期以後ではしばしば融合し暗赤色を呈するので薬疹と間違えられる(乙第四号証の九)、薬疹は殆どあらゆる疹型をとるので薬疹に独自な皮疹はない(同号証の一三)との指摘もあり、後頸部リンパ腺の腫脹を伴わない風疹や非定型の風疹もあって、発疹の形状だけからは薬疹と風疹による発疹との区別は非常に困難であるとされている(原審証人村上紘一の証言(昭和五五年五月一二日付調書76頁)及び喜多嶋鑑定。)。

四  スエ子の本症発症時期及び発症原因について

スエ子が本症に罹患して敗血症を引き起こし死亡したことは当事者間に争いがないところ、前記二、三で認定したスエ子の診療経過と本症の発症原因等に照らし、スエ子の本症発症時期及び発症原因について検討する。

1  スエ子の本症発症原因

前記認定のとおり、本症の発症原因としては、薬剤の外に物理的原因や各種基礎疾患が存在する場合などが考えられるところ、本件においては薬剤を除いては、本症発症の原因を疑うに足りる確たる資料は見出せず、後記認定のとおり、被控訴人らがスエ子に投与した薬剤中には本症の発症を引き起こす副作用を持ったものが多数存在することからすれば、スエ子の本症は被控訴人らが投与した薬剤に起因して発症したことが最も疑われるというべきである。そこで、進んで、被控訴人らがスエ子に投与した薬剤のうち本症発症の原因となった起因剤の特定が検討されなければならないが、その判断をするうえで重要な前提となるスエ子の本症発症経過、とりわけ、その発症時期と症状の特徴について検討する。

2  スエ子の本症発症時期と症状

前記認定にかかるスエ子の診療経過によれば、国立病院に四月一六日午前一一時三〇分に入院した際に実施された血液検査では白血球数一八〇〇/ミリリットルで好中球が〇であったことが確認されており、すでにこの時点においてスエ子は無顆粒球症に該当し、血液学的には本症が完成していたと認められる。そして、前記認定のとおり、その二日前の四月一四日午後四時三〇分ころスエ子がカマチ病院に入院した際に実施された血液検査では白血球数二八〇〇/ミリリットルであったことが確認されており、右検査では白血球の分画検査までなされていないので顆粒球数の実数は正確には把握できないものの、白血球中の正常の好中球比率の上限に近い五〇パーセントがそのまま保持されていたとしても好中球数は一四〇〇/ミリリットル以下と算定され(喜多嶋鑑定書一〇頁)、前示のとおり好中球数が一五〇〇/ミリリットル以下をもって本症と診断されるので、スエ子の本症発症は、それ以前と判断される。

そこで、それ以前に遡ってスエ子の症状を本症の症状との関連で考察するに、前記認定のとおり、スエ子は発熱や喉の痛みの風邪症状を訴えて三月一七日から四月一四日まで被控訴人西川医師のもとで診療を受けているが、この間、抗生物質や総合感冒薬等の投与を受けるなどして、一時は三八度ないし三九度あった発熱もとれ、三月二五日ころから四月五日にかけては事務所で椅子に腰をかけて従業員の指導ができるまでに軽快していた時期もあり(もっとも、咳及び身体がだるい感じは常に持続していた。)、四月五日に再度発熱(三八度)をみたが翌六日には解熱して、本症の特徴である重症感を伴った高熱や潰瘍を伴う壊疸性扁桃炎などが継続するという症状はみられていない。

この点について、控訴人らは、スエ子には風邪の症状では説明のつかない発熱の繰り返しや両肩痛の筋肉痛、あるいは改善されない咳や喉の痛みが訴えられており、遅くともスエ子に急性扁桃腺炎が生じた三月二四日ころからは本症の症状が発現していた旨主張するが、喜多嶋鑑定によれば、風邪やインフルエンザの遷延による上気道炎等の感染によっても発熱が繰り返されたり咽頭痛や筋肉痛等が発生することもあり、高熱が継続せず潰瘍性の口内炎症等もみられていないスエ子の症状をもって本症の症状とは診断するには至らないことが認められる。また、前記認定のとおり、スエ子は四月一二日から一三日まで耳鼻咽喉科の原八洲雄医師のもとに通院しているが、同医師も慢性咽喉頭炎と診断しているに過ぎず、スエ子の症状に重症感を抱いてはいないところであって、以上の点からして、右時点において、スエ子に本症が発症していたとは認め難い。

ところで、前記認定のとおり、薬剤に起因する本症の発症については薬疹を伴う場合があり、被控訴人西川医師がスエ子の訴えにより四月一四日に認めた発疹は、その後も消失せず、カマチ病院及び国立病院への入院時にも全身にみられていたことからすれば、明らかに本症の発症に伴うものと認められる。そこで、スエ子に発疹が生じた時期について考察するに、控訴人らは、右発疹は四月一一日ころから現れたものである旨主張するところ、原審における控訴人両名の各本人尋問の結果中には右主張に沿う供述部分があり、ニシカワ医院のカルテ(乙第一号証の七)には四月一四日欄に五日前から発疹と、また、カマチ病院のカルテ(乙第二号証の一)には四月一四日欄に四、五日前から発疹と、それぞれ記載がなされている。しかし、原審での被控訴人西川本人尋問の結果によれば、四月一四日の診察日までスエ子から発疹が生じているとの訴えは全くなく、同被控訴人はその発生時期には多分に疑問を持ちながらも主訴どおりに記載したことが認められ、一方、国立病院でのスエ子のカルテ(甲第三号証の三、五)では四月一六日の初診欄に四日前より皮疹と記載され、同病院の看護記録(同号証の二九)では四月一〇日ころから全身特に背部掻痒感、一二日全身発疹と記載されていることからすると、スエ子の身体に発疹が現れるようになったのは四月一二日ころからと認めるのが相当である。この点について、スエ子は四月一四日まで発疹については被控訴人西川医師に何ら訴えておらず(原審での控訴人両名の本人尋問の結果によれば、スエ子は結婚前は看護婦の経験があることが認められ、自分の身体に発疹が生じてくれば、逸早く担当医師に告げるのが自然とも考えられる。)、原審証人原八洲雄の証言及び原審での被控訴人西川本人尋問の結果によれば、スエ子は、四月一二日と一三日にニシカワ医院で静脈注射を受けているのに、看護婦から腕等に発疹が出ていることの報告はなされておらず、また、右両日、原医師の診察を受けた際にも体に発疹が出ていることは何ら告げていないことが認められる。そうすると、スエ子の全身にまで発疹が広がったのは四月一三日の診察後のことではないかと疑う余地があるが、四月一四日には、すでにスエ子の両手、胸、背中等に発疹が広がっていたことは間違いないところであり、前記国立病院におけるカルテ等の記載に照らすと、四月一二日ころからスエ子の身体に発疹が現れ始めていたと認定するのが相当である。そして、本症に伴う発疹の発生率はそれ程高くないが、発疹と同時またはやや遅れて本症を併発することは前記認定のとおりである。

以上に考察した血液検査の結果、症状経過、発疹の発生時期等を総合すると、スエ子に本症が発症した時期を四月一四日の朝ないし一三日ころとするのが妥当であるとする喜多嶋鑑定の結果(同鑑定書一〇頁)は、これを支持し得るものと認める。

次に、スエ子の本症の病型について考察するに、前記認定のとおり、スエ子はカマチ病院に入院した四月一四日午後四時二〇分ころには、顔色は普通で平熱(三五度五分)を保ち四階の病室まで階段を独りで歩いて上るなど特別の重症感はなかったところ、その後、国立病院に入院後の四月一九日からは四〇度前後の高熱が続き本症による敗血症を併発していることが判明するに至ったもので、血液検査による白血球の数も、四月一四日に二八〇〇/ミリリットルであったのが四月一六日には一八〇〇/ミリリットル、四月二〇日には七〇〇/ミリリットルと極めて急激に減少していることが認められ、これらに照らすと、スエ子の本症は急性の劇症型に近い病型と認定するのが相当である(喜多嶋鑑定人の当審での証言)。

3  スエ子の本症の起因剤

被控訴人西川及び同蒲池の両医師がスエ子の診療に当り原判決添付別紙「投薬状況一覧表」記載のとおり薬剤を投与したことは、当事者間に争いがなく、その詳細な投薬経過は前記二で認定したとおりである。

そして、成立に争いのない甲第六号証ないし第一八号証、第二〇号証、第二二号証、第二三号証、第二七号証、第二八号証及び喜多嶋鑑定によれば、右薬剤のうち、抗生物質としてのリンコシン、ラリキシン、ソルシリン、ネオマイゾン、複合トローチ、ピリン系鎮痛解熱剤としてのオベロン、グリンケンH、サルファ剤としてのケルヘチーナ、非ピリン系鎮痛解熱消炎剤としてのPL顆粒、バファリン、ソランタール、鎮咳剤としての濃厚ブロチンコデイン液、フスタゾールなどは、いずれも使用上の注意として、薬剤起因性の本症を発生させる副作用があるとされていることが認められる。

そこで、右各薬剤につき、スエ子の本症発症の起因剤として考えられるか否かについて考察するに、前記二で認定したスエ子の診療経過並びに前掲各書証及び喜多嶋鑑定によれば、次のとおり認められる。

(一)  リンコシン

本剤の成分である塩酸リンコマイシンは、ペニシリン系、セファロスポリン系などとは異なる系統に属する抗生物質で、血液に関する副作用として稀に本症を起こすとされている。(なお、薬事法に基づき医薬品の使用上の注意として記載される副作用の発現頻度表現として、「稀に」は0.1パーセント未満、「ときに」は0.1パーセントないし五パーセント、副詞なしは五パーセント以上または頻度不明とされている(甲第四九号証))。

本剤の使用については、筋注する場合、通常成人には一回三〇〇ミリグラムを一日二ないし三回、または、一回六〇〇ミリグラムを一日二回行うのが原則とされている(甲第九号証)。

被控訴人西川医師により三月一七日、一八日の二日間、スエ子に対し本剤が各六〇〇ミリグラムずつ筋注されているが、その際には副作用らしき症状は何ら起こっていない。

その後、カマチ病院において被控訴人蒲池により、本剤の各六〇〇ミリグラムずつの筋注が、四月一四日に一回、一五日に四回、一六日に二回とほぼ六時間おきに合計七回にわたり行われており、同病院での初回筋注直後のスエ子の白血球数が二八〇〇/ミリリットルであったのが、四月一六日の国立病院入院時には一八〇〇/ミリリットルで好中球数が〇と確認されていることからすれば、この間に本症の副作用を有する他の薬剤が使用されていないことから、右本剤の筋注が何らかの機序によりスエ子の本症に関与した可能性が考えられる。しかし、カマチ病院における本剤の筋注の以前に、すでにスエ子には本症の発症に伴うものとみられる発疹が生じており、この点からして、本剤の右筋注が本症の起因剤になったものとは考えられない(スエ子に本症が発症した時期は四月一四日の朝ないし一三日ころと認めるのが相当であることは前示のとおりである。)。

そして、可能性としては、被控訴人西川医師によって先に投与された本剤がスエ子の体内で抗体を生じ(感作)、それがアレルギー反応を引き起こして本症を増悪させたことが考えられるが、先の投与によって何らの副作用らしいものが生じておらず、カマチ病院における本剤の筋注も通常使用量の二倍程度であって(それも延べ二日間程に止まる。)許容される範囲内のものであることを考慮すると、本剤の右筋注がスエ子の本症を増悪させた可能性は完全には否定されないとしても極めて少ないと考えられる(喜多嶋鑑定書三一、三二頁)。

(二)  ソルシリン、ラリキシン

ソルシリンは、合成ペニシリンのうちアンピシリンに相当し、本剤の投与により白血球減少症、無顆粒球症が現れることが報告されており、発疹などの皮膚症状の出現についてもいわれている。本剤は四月五日から四日間のみ投与され、以後中止されているが、それに先立ち三月一七日から経口用セファロスポリン系抗生物質であるラリキシン(同剤についても本症が現れることが報告されている。)が七日間にわたり投与されているところ、ソルシリンと化学構造式が近似しており、両剤の間で交差感作が成立する可能性があり、したがって、ソルシリンがスエ子の本症発症の起因剤となる確立は高いといえる。しかしながら、右両剤が投与されたころにスエ子にアレルギー反応の発現を示唆する徴候はみられず、発疹が発現したのは、ソルシリンの投与中止後四日目ころであることを考えると、右両剤を本症の起因剤としての蓋然性は低いといわざるを得ない。

なお、ソルシリンの使用は、成人一日一カプセル(二五〇または五〇〇ミリグラム)を四ないし六回経口投与とされているところ、スエ子には一日四カプセル投与されており、ラリキシンの使用は、成人一日一カプセル(二五〇ミリグラム)を四回経口投与とされているところ、スエ子に右通常使用量の範囲内で投与されている。

(三)  ケルヘチーナ

本剤はサルファ剤の中のスルファメトピラジン製剤であり、副作用として稀に再生不良性貧血、本症などが起こるとされ、発疹などの出現に対しても使用にあたり注意が求められている。本剤は三月二二日から四月二日まで投与され(三月二八日と三一日は中止)、一日の成人通常使用量が初日は五〇〇ないし八〇〇ミリグラムを一ないし二回、それ以降は一〇〇ないし二〇〇ミリグラムを一日一回経口投与とされているところ、初日には六〇〇ミリグラムが、その後は九日間にわたり一日六〇〇ミリグラム(一〇〇ミリグラム錠が六錠)投与されている。

右使用量は、初日を除き常用量をやや超過しているが、本剤に起因する本症の発現は主としてアレルギー性機序によるものとされていることからすれば、投与量の多寡は余り問題とならず、さらに、本剤の最終投与日である四月二日とスエ子の前記本症発症推定時期との間が一〇日ほど離れていることからすれば、本剤もスエ子の本症発症の起因剤とは考え難い。

(四)  PL顆粒、オベロン、バファリン

PL顆粒は、日常臨床に最も汎く用いられている感冒薬の一つであり、サリチルアミド、アセトアミノフェン、カフェイン、プロメタジン、メチレンジサリチレートをその成分としている。本剤はサリチルアミドを含有するので、使用上の注意として、既往にサルチル製剤(アスピリンなど)に過敏症を起こした患者には投与しないこと、また、アセトアミノフェンの副作用として稀に血小板減少、本症が、プロメタジン、メチレンジサリチレートの副作用として本症が、それぞれ起こることがあるとされているが、本剤が感冒薬として汎く、また同一症状に繰り返し使用されている割には血液障害の報告例は極めて少ない。

そして、本剤は、四月五日から四月一一日まで投与されているが、これに先立ち三月一七日から一八日までピリン剤としてのスルピリンを含むオベロンの注射とアスピリン製剤であるバファリンの投薬を受け(四月五日と六日にもオベロンの注射がなされている。)、特に過敏症とみられる症状もなく解熱しているのでピリン過敏症とは認定できないものの、これらによって感作され、抗体価の最も高くなる二ないし三週間後に投与されたPL顆粒が本症の発症に関与した可能性も一応考えられるところである。

しかしながら、その場合の本症の発症は、PL顆粒が投与され始めた四月五日ないし六日ころとなる筈であるのに、そのころにはスエ子に本症の発症を疑うに足りる症状は発生しておらず(四月五日の発熱も翌六日以降は解熱している。)、この点からもPL顆粒等を起因剤とは考え難い。なお、スエ子に対するPL顆粒、オベロン注射、バファリンの各投与量は、いずれも、成人の通常使用量の範囲内である。

(五)  ネオマイゾン

本剤は、四月一〇日から一三日にかけて四日間、スエ子の発熱はないが咳が強度であるとの訴えに応じ、鎮咳剤として被控訴人西川医師により濃厚ブロチンコデイン液二日分とともに投薬され、四月一四日にスエ子から全身に発疹が生じたとの訴えがなされたことにより投薬が中止されている。右発疹が本症の発症に伴う薬疹と認められることは前述のとおりであり、その後のスエ子の白血球数の激減や国立病院入院後の四月一九日から顕著にみられた本症の典型的症状の発生と進行からみて、本剤がスエ子の本症発症の起因剤になった疑いは最も強いというべきである。但し、本剤(医学名チアンフェニコール)は、クロラムフェニコールの誘導体として、その血液毒性が注目されている割には白血球系に関する副作用の報告例は少なく、昭和四三年から一〇年間に本剤カプセルを使用した七七八三例中、白血球減少が起きたと報告された例は八例(約0.1パーセント)に過ぎず、他に赤血球減少二五例、血小板減少を含めた混合型五例が報告されているが、全例を通じて血液障害は一日の投与量及び投与期間に関係する中毒性の機序によるものが大半であって、赤血球系を中心に起こっており、本剤の過量投与による血液障害は投与中止によっていずれも回復したことが確認されている。

そうすると、本剤を起因薬剤としてアレルギー性機序によりスエ子に本症が発症したとは考え難いけれども、前記発症の経過からして、スエ子が本剤に薬剤過敏症を有し、前記三において考察した過反応性の中毒性機序によって本症が発症した可能性が最も高いというべきである(喜多嶋鑑定人の当審での証言)。

なお、ネオマイゾンの成人通常使用量は一日量0.5ないし一グラムを三ないし四回に分服するとされているところ、スエ子に対しては、その範囲内である二五〇ミリグラムカプセルが一日四カプセル投与されており、濃厚ブロチンコデイン液も成人通常使用量の範囲で投与されている。

(六)  その他の薬剤

スエ子には右に検討した薬剤以外にも、複合トローチ、グリンケンH等の本症の副作用の可能性がある薬剤が用いられているが、これらについては、その投与量はいずれも成人通常使用量の範囲内であり、投与前後のスエ子の症状などからして、本症発症の起因剤となった可能性については認めることができない。

4  まとめ

以上の考察によれば、スエ子に本症が発症したのは四月一四日の朝ないし四月一三日ころと認めるのが相当であり、スエ子の本症は急性の劇症型に近い病型であって、その起因薬剤としては、被控訴人西川医師が四月一〇日から一三日までに投与したネオマイゾンにより過反応性の中毒性機序によって引き起こされた可能性が最も疑われ、その後、被控訴人蒲池医師により投与されたリンコシンがスエ子の本症を増悪させたことは完全には否定されないものの、その可能性は極めて少ないと認められる。

右認定に反し、控訴人らは、スエ子の本症発症は被控訴人西川医師による本症の副作用を有する多種、多量の投薬が相乗的ないし総和的に作用してその毒性が骨髄に致命的打撃を与えたものであり、スエ子に急性扁桃腺炎が生じた三月二四日ころから本症の症状が現れていたもので、とりわけケルヘチーナの中毒性機序が本症の起因となり、その後のネオマイゾンと被控訴人蒲池医師によるリンコシンの投与が本症を増悪させたものである旨主張する。

確かに、一般には、ある薬物が他の薬物の作用に変化を及ぼす相互作用があり、これには加重作用、相乗作用などがあって、このために毒性の増悪などの有害作用が起こり得ることが指摘されている(甲第五〇号証、治療薬による副作用とその対策、甲第九一号証、症状からみた薬の副作用など)が、喜多嶋鑑定によれば、本件において使用された個々の薬剤の系統や投与量からして医学的に具体的な相乗作用や毒性蓄積等の相互作用を認めることができず、三月二四日ころからスエ子に本症の症状が現れていたとは認め難いことは前述のとおりであって、控訴人らの右主張は採用することができない。

なお、弁論の全趣旨により成立を認める甲第一一一号証の一、二によれば、相模原友愛病院の市村公正医師は、スエ子の本症発症は、抗生物質及びサルファ剤、解熱剤等の継続的投与によるもので、ネオマイゾンの投与は本症の原因とは考え難いとし、三月二四日から四月一〇日までの間に本症が発症したものと推定できる旨の意見書を作成しているが、喜多嶋鑑定と対比して、スエ子の具体的症状と本症の症状との子細を検討したうえでの意見とは認め難く、右意見を直ちに採用することはできない。

また、国立病院の担当医村上紘一医師作成の死亡診断書(甲第一号証)には、スエ子の本症原因がピリン剤抗生物質と思われる旨記載されているが、原審における同医師の証言によれば、一般に本症を引き起こす薬剤としてピリン剤の抗生物質があり、感冒薬として投与を受けた薬剤の中に右抗生物質が含まれていたであろうと推定して、そのように記載したに過ぎないことが認められ、前記認定判断を左右するものではない。

五  被控訴人らの責任について

1  診療契約について

スエ子は、昭和五一年三月一七日、被控訴人西川との間で、同年四月一四日、被控訴人蒲池との間で、それぞれ疾病の原因ないし病名を的確に診断したうえ、その症状に応じた診療行為をなすことを内容とする診療契約(準委任契約)を締結したことは、当事者間に争いがない。

2  被控訴人西川の責任について

(一)  過剰治療について

控訴人らは、スエ子は単に風邪の治療を依頼したもので、本来、簡単な対症療法の後は安静を保つ旨の指示をなし、経過観察で足りた筈であるのに、被控訴人西川医師がスエ子に対しピリン系、非ピリン系二種の感冒薬の他に三種もの抗生物質やサルファ剤等を多種、多量に投与したのは過剰治療であって、本症発症の原因となった旨主張する。

そこで、検討するに、前判示のとおり、被控訴人西川医師がスエ子に投与した薬剤のうち本症の発症原因として最も疑われるのはネオマイゾンであり、他の薬剤が本症の起因剤となったことは認め難いところであるが、控訴人らの主張に従い被控訴人西川の行ったネオマイゾン以外の薬剤を含む薬剤の投与について不適切な過剰治療が行われたか否かについて考察すると、前記二ないし四で認定した事実に加え、喜多嶋鑑定によれば、次のとおり認められる。

(1) 被控訴人西川医師は、三月一七日にスエ子を往診しているが、その時の主訴は三月一四日ころから発熱と喉の痛み等が始まったというもので、当日、三八度ないし三九度の発熱があり、咳と咽頭痛等の症状がみられ、診察により咽頭に発赤が認められたので、当時インフルエンザの流行期にあったことを併せ考慮して、インフルエンザウイルス由来の上気道炎と診断しており、右診断はスエ子の右症状等からして妥当なものであったといえる。

同被控訴人は、スエ子に対する治療として、高熱に対する解熱剤のピリン系のオベロンを注射し、非ピリン系のバファリン、ソランタールを投薬して、咽頭痛に対する複合トローチを与えるなど対症療法を行っているが、二次感染としてすでに合併していると推定された細菌性上気道炎への対策と細菌性肺炎に進展することを予防する目的で、主としてグラム陽性菌に感受性を有する抗生物質リンコマイシン六〇〇ミリグラムの筋注を行い(翌一八日にも一回、合計二回)、グラム陰性、陽性菌共に抗菌作用を有するセファロスポリン系抗生物質ラリキシンカプセル一日一グラムを四分服として五日分投与しているのは、最も一般的に実施されている治療方法であり、いずれも通常投薬量の範囲内であって適切な治療行為と認められる。

(2) 右治療によって、スエ子の病状は、高熱が一日で下がり、他の症状も漸次軽快に向かっており、一部に残存した腰痛や咳等に対し、抗生物質を三月二二日からはサルファ剤(ケルヘチーナ)に変更し、鎮咳剤(フスタゾール)を併用したことにより、三月二四日には扁桃腺に炎症がみられたものの、翌三月二五日ころから四月五日にかけては全身倦怠感が残りながらも、事務所に出て椅子に腰をかけて従業員を指導できるまでに軽快している。右治療の中で、ケルヘチーナの投与量が常用量を上廻っている(二日以降の投与量が、成人通常使用量一日一回一〇〇ないし二〇〇ミリグラムのところ、延べ九日間にわたり一日六〇〇ミリグラム投与されている。)が、投薬量は症状に応じて適宜増減できるとされており、そのころスエ子の症状は軽快しながらも扁桃腺に炎症が認められたり全身の倦怠感も残存しており、他に抗生物質は複合トローチを除き併用されていないものであって、右投与量をもって許容範囲を越えた中毒量とまで評価することはできないというべきである。

(3) 四月五日に至って、スエ子に咳嗽を伴って再度三八度の発熱が生じたため、被控訴人西川医師は、二次感染の合併によりインフルエンザがこじれたための発熱と判断しているが、インフルエンザが遷延して再度発熱することは十分あり得ることであって、右判断が不適切とは認められない。同被控訴人が治療薬剤として従前同様に用いたのはオベロン注射のみで、その後、薬剤としては抗生物質のソルシリンカプセル及び感冒薬として繁用されているPL顆粒及び解熱鎮痛剤としてグリンケンH顆粒を新たに選択して投与しているが、右各剤の投与は、いずれも成人通常使用量の範囲内であって、過剰治療とまでは認められない。

(4) 右治療によって、四月六日には、スエ子は解熱して症状の改善がみられたが、七日には両肩の痛みと咳が少々あると訴えたので、被控訴人西川医師は、ビタミン剤等の静注の他、前同様のソルシリン及びPL顆粒等を投与し、四月一〇日に来診したスエ子が強度の咳を訴えたので、鎮咳去痰剤としての濃厚ブロチンコデイン液とともに、グラム陰性、陽性菌に広く高活性抗生作用を有し発熱を伴う呼吸器系感染症に効能を有するネオマイゾン(一日量二五〇ミリグラム×四カプセル、二日分)をソルシリンに変えて投与し、四月一二日にも右同様ネオマイゾン二日分を投与している。右薬剤の投与も、スエ子の症状に応じたもので、いずれも成人通常使用量の範囲内である。

(5) 一般に、感冒やインフルエンザによる上気道感染症が一時軽快しつつも治癒に至らず遷延した場合、二次感染の起炎菌がそれまでに投与された抗生物質に感受性を持たないものであった可能性が考えられ、その意味からは、被控訴人西川医師により、スエ子に従来用いられていたリンコマイシン系、ペニシリン系、セファロスポリス系抗生物質及びサルファ剤のいずれにも属さないネオマイゾン(チアンフェニコール)が用いられたことは、起炎菌の同定並びに同菌に対する感受性テストを行ったうえでの薬剤の使用が当時の開業医による外来通院治療では至難であったことを考慮すれば、十分許容される選択であったと考えられる。

なお、成立に争いのない甲第七一号証(小林芳夫、臨床誌)、第一〇四号証(日本医薬品集、第一〇版)によれば、チアンフェニコールは造血器に対する副作用により適応症が制限されたクロラムフェニコールと同系統の薬剤であって、骨髄抑制作用があり、他に有効な薬剤がない場合だけに使用し、軽微な感染症には使用しないことが望ましいとの指摘がみられるが、右文献はいずれも本件事故よりも一〇年後の昭和六一年ころのものであり、ネオマイゾンの製剤会社であるエーザイ株式会社に対する照会結果(甲第一〇〇号証)によれば、同剤による本症の副作用発症の報告例は、昭和五〇年までカプセル及び顆粒で二例に止まり(注射で一一例)、それ以降は注射で一例だけでカプセル及び顆粒では報告事例がないことが認められる。

(6) また、被控訴人西川医師による以上の投薬が相互作用によって本症発症に相乗的、蓄積的に有毒に働いた可能性については、本件の個々の薬剤の系統や投与量などからして、これを認め難いことは前述のとおりである。

以上によれば、被控訴人西川医師によるスエ子に対する各薬剤の投与には過剰治療というべき過失は認め難く、この点についての控訴人らの主張は採用できない。

(二)  検査義務違反について

控訴人らは、サルファ剤、抗生剤、鎮咳剤の投与によってもスエ子の症状が改善されなかったことから、被控訴人西川医師においては、遅くとも三月二九日までにはスエ子の血液障害をも疑い血液検査等を実施すべきであった旨主張するが、前述のとおり、スエ子の症状はインフルエンザ由来の上気道炎として十分説明し得る範囲のものであって、インフルエンザによる上気道感染症が一時軽快しつつも治癒に至らず遷延することは通常起こり得ることであり、そのころにはスエ子に本症の症状はみられていないことからしても、右時点においては、いまだ血液検査等の検査義務まではなかったというべきである。

次に、控訴人らは、スエ子がそれまでの投薬治療にもかかわらず四月五日に再度発熱し、四月七日には両肩痛を、四月一〇日には強い咽喉痛等を訴えたのであるから、被控訴人西川医師としては、それぞれの時点で血液検査等の検査義務を尽くすべきであった旨主張する。

そこで検討するに、成立に争いのない甲第五五号証(加地正郎外、臨床検査MOOK)などによれば、臨床科医としては、患者の発熱の原因を確定するために検尿、赤沈、血計(特に白血球数、末梢血液像)等の一般検査を行うべきであるとされているところ、喜多嶋鑑定によると、スエ子の症状が一旦軽快をみせた後、四月五日には再度の発熱(三八度)がみられ、四月一〇日には強度の咳嗽を訴えて受診していることからすれば、被控訴人西川医師としては、四月五日あるいは遅くとも四月一〇日の時点において、少なくともスエ子に対し胸部レントゲン単純撮影、血沈、CRP、喀痰検査、末梢血一般検査等の一般検査が実施されるべきであったことが認められ(同鑑定書二五頁)、同被控訴人は、右検査義務を怠ったことが認められる。

しかしながら、前述のとおり、スエ子の本症発症は四月一四日の朝か四月一三日ころと推認されるところであって、しかも、その起因剤としては四月一〇日から投与されたネオマイゾンが最も疑われるところであり、さらには、スエ子が同剤に薬剤過敏症を有し過反応性の中毒機序によって急性の劇症型に近い進行を辿ったことからすれば、仮に、右各時点で末梢血液検査等の一般検査がなされていたとしても、白血球や顆粒球の減少という本症の徴候が発見されていたとは認め難く(喜多嶋鑑定人も同旨の見解を述べている。)、したがって、被控訴人西川医師の右一般的検査義務違反とスエ子の本症発症との間には相当因果関係を認め難いといわざるを得ない。

(三)  観察過怠、誤診療、転医義務違反等について

控訴人らは、被控訴人西川医師は、四月一一日からスエ子に生じた薬疹に四月一二日には気付くべきであり、その上で直ちにネオマイゾンの投与を中止し、血液検査等をなしたうえ、さらには総合病院への転医をさせるべきであったのに、これらを怠った旨主張する。

そこで検討するに、成立に争いのない甲第四五号証(日野原重昭、新臨床内科学)、第四六号証(阿部正和外、臨床診断学診察編)及び弁論の全趣旨によれば、臨床内科の診察に当たっては、問診等により患者の病状を正確に把握する必要があるところ、前記認定のとおり、被控訴人西川医師は、三月一七日の初診依頼、スエ子に対し、本症の副作用を有する多種類の抗生物質、サルファ剤等を継続投与しており、本症の発症には薬疹を伴うことがあることからすれば、右投薬に際しては適宜スエ子に対し薬疹の発生の有無を問診などにより注意深く観察すべき義務があったにもかかわらず、四月一四日にスエ子から発疹が生じていると訴えられるまで、何ら問診等をなしていないことが認められる。この点について、前記認定のとおり、被控訴人西川医師は昭和四八年九月以来断続的にスエ子を診察していた経過があり、同人から薬剤過敏症があることを訴えられたりしたことは本件全証拠によるも窺えないが、このことをもって、同被控訴人に問診等による経過観察義務がなかったことにはならないというべきである。

そうすると、本件において、被控訴人西川医師に、スエ子に対する抗生物質等の継続投与に際しての薬疹の発生の有無に関する問診等の経過観察不足を指摘せざるを得ないが、一方、前記認定のとおり、スエ子の身体に発疹が生じ始めた時期については、四月一二日ころからと認定するのが相当であるところ、当時は風疹の流行期にあり、被控訴人西川医師もスエ子の発疹を四月一四日に確認した後も薬疹の疑いを持つ一方、風疹による発疹をも疑い確定診断には至っておらず、ネオマイゾンが一般には投与量と投与期間に関係する中毒性の機序により本症を発症させる薬剤であることを考慮すると、本剤を二日分投与しただけの四月一二日の時点で問診等によりスエ子の発疹を確認していたとしても、直ちに本症の発症を予見し、投薬中止や血液検査等の義務があったとまでいえるかは疑問であるといわざるを得ない(原審証人村上紘一の証言及び喜多嶋鑑定によれば、風疹による発疹と薬疹との識別は非常に困難でわって、風疹の場合、後頸部のリンパ腺が腫れることがあるが、常にそうとは限らず、また、本症の発症には薬疹が必ずしも伴うとは限らないことが認められる。)。

加えて、前記認定スエ子の本件発症の経過で認定したとおり、本件においては、ネオマイゾンが通常は起こり得ない薬物過敏症による過反応性の中毒機序によって、しかも、急性に劇症型に近く進行したことに照らすと、被控訴人西川医師の右経過観察不足とスエ子の本症発症による死亡との間には相当因果関係を認め難いといわざるを得ない。

次に、被控訴人西川は、前記認定のとおり、四月一四日にスエ子の発疹を確認した後、直ちに本症の発症に伴う薬疹とは確定的に診断しておらず、当時流行期にあった風疹やじんま疹等をも疑っているが、この点は、前述のとおり、スエ子にはその時点で発熱はなく重症感もなかったもので本症の症状を示す徴候もみられておらず、また、ネオマイゾンによる本症発症の機序は一般には投与量と投与期間に関係する中毒型であること、風疹による発疹と薬疹の識別は必ずしも容易でなく、むしろ非常に困難といえることなどを考慮すると、被控訴人西川が右確定診断に至らなかったことをもって誤診とまではいえず、この時点でスエ子ないしその家族である控訴人らに対し、右発疹が本症による薬疹であることの説明義務まではなかったというべきである。

そして、前記認定のとおり、被控訴人西川は、右発疹を確認した後、薬疹である可能性も考えて、それまで使用してきた薬剤の投与を全て中止するとともに、薬物過敏症等に効能を有する抗アレルギー剤である強力ネオミノファーゲンC液を注射し、副腎皮質ホルモン剤、抗ヒスタミン剤複合剤であるセレスタミン錠等を投与しており、これらの処置は、薬疹とも疑われた発疹を確認した場合の医師としてとるべき適切な治療行為であったと評価できる。

また、被控訴人西川医師は、四月一四日にスエ子の発疹を確認した後に直ちに血液検査を実施していないが、もとより本症の治療上早期発見が最も重要であり、それが望まれるところであるけれども、喜多嶋鑑定によれば、薬疹を生じた症例の極く一部が同時にまたはやや遅れて本症を併発することからすれば、薬疹の疑いのある発疹を認めた場合、同時に本症の併発を示唆する症候、とりわけ高熱、壊疸性扁桃炎による咽頭痛等や全身状態としての重症感が認められないにもかかわらず全例に直ちに本症の発症を想定した血液検査等を実施すべきであるとまではいえず(同鑑定書二七、二八頁)、通常は、使用してきた薬剤の投与を中止して経過観察のため様子を見ることも許されるところであり(原審証人井上国昭医師も、同旨の証言をしている。)、前記認定のとおり、当日のスエ子には発熱もなく重症感とまではいえない状態にあったこと、被控訴人西川医師において、右同日、薬剤の投与を中止して抗アレルギー剤等を投与し、国立病院への転医を勧めて検査等の依頼をした紹介状を作成、交付したことなどを考慮すると、スエ子の血液検査を直ちに実施しなかったことをもって診療上の過失と認めることはできないというべきである。

さらに、前記認定によれば、被控訴人西川医師は、四月一四日の時点で、右発疹の確定診断に至らないため、スエ子に対し他の病院への検査入院を勧めており、控訴人ら家族の依頼により国立病院への紹介状を作成し、これを控訴人らの側に交付している(右紹介状の作成、交付は控訴人茂において認めるところである(同控訴人原審昭和五七年三月二九日付調書19項))。そうすると、被控訴人西川医師においては、スエ子の発疹を確認後、医師としてとるべき転医義務も尽くしているというべきである。

なお、控訴人らは、被控訴人西川がスエ子を転医させるに当たって従前の診療経過について正確な情報を提供しなかった旨主張するが、前記認定のとおり、国立病院への紹介状には、スエ子の病状について確定診断に至らないため検査と治療を依頼するとともに、同人に生じた発疹が薬疹であることをも考慮して従来の治療経過、投薬状況等を記載して、これを控訴人らの側に交付していることが認められ、カマチ病院へ転医させる際にも、スエ子に発疹が生じていることを伝えて風疹が疑われるが判然としないとして諸検査と治療を依頼し、さらに、控訴人らの側に国立病院宛に作成した前記内容の紹介状をカマチ病院に渡すよう伝えているのであるから、同被控訴人は転医に際しての引き継ぎを十分に行っているものと認められ、控訴人らの右主張は採用できない。

(四)  転医妨害について

控訴人らは、スエ子本人や控訴人らが国立病院への転医を強く求めたのに、被控訴人西川医師は同病院が満床であるなどと虚言を弄して転医を妨害した旨主張するが、前記認定のとおり、同被控訴人は控訴人らの依頼に応じて国立病院への紹介状を作成、交付しており、同病院等へ電話照会したが満床として受け入れを拒否されたため、控訴人らの依頼を受けて国立病院への入院が可能となるまで一時的に知り合いの被控訴人蒲池医師の経営するカマチ病院への入院手続をとったものであり、控訴人らの主張する転医妨害の事実は認めるに足りない(原審における国立病院に対する調査嘱託の結果(甲第四二号証)によれば、同病院内科では四月一四日に一一床、一五日に一〇床の空床があったものであるが、重症用及び軽症用並びに男女別の各病床数が記録されていないので入院の可否について回答できないということであり、右証拠によって、被控訴人西川が虚言を弄したとは到底認め難い。)。なお、原審における被控訴人西川本人尋問の結果によれば、被控訴人西川医師はスエ子をカマチ病院に転医させた後被控訴人蒲池医師から同被控訴人の臨床経験からみてスエ子の発疹は風疹である可能性が強いと聞かされ、その旨を控訴人らの側に伝えて心配しなくてもよい旨の発言をしたことが認められるが、右時点では被控訴人西川医師は控訴人らの側に対して国立病院宛の紹介状を交付しており、右発言をもって転医妨害とまで認めることはできない(控訴人らは被控訴人西川医師の転医妨害を強調するが、スエ子は同被控訴人のニシカワ医院に入院していたわけではなく、他の総合病院において受診あるいは入院することはスエ子側の意思で自由にできたものであり、少なくとも被控訴人西川医師から国立病院宛の紹介状の交付を受けてからは、同病院に外来でも診察を受けることは十分可能であった(現に、四月一六日には同病院に外来受診をしている。)ものである。)。

3  被控訴人蒲池の責任について

(一)  検査義務違反について

控訴人らは、被控訴人蒲池医師が四月一四日スエ子に対する一応の血液検査をしたが、必須である白血球の分画検査まで行わず、正確で速やかな検査を怠った旨主張するが、前記認定のとおり、被控訴人蒲池医師がスエ子を四月一四日夕刻にカマチ病院に入院させたのは、被控訴人西川医師から依頼され国立病院への入院まで一時的に預かる趣旨によるものであり、いずれ国立病院へ入院の際には専門的検査が当然行われることが見込まれたこと、右入院当時、スエ子に薬疹を疑わせる発疹が認められたものの、特に重症感や発熱もなかったことなどを考慮すると、白血球数の検査を含む一般的血液検査を行ったこと以上に分画検査をなす義務まであったとは認め難い。また、被控訴人蒲池の実施した血液検査の結果はスエ子が退院した四月一六日朝の後に判明しているが、前記スエ子の症状などからすれば、即日に検査結果が判明する緊急な血液検査を実施すべき義務があったとまでは認め難い。

(二)  誤診療等について

控訴人らは、被控訴人蒲池医師において四月一四日にはスエ子に本症の発症が疑われる状況にあったのに、漫然と風疹と誤診し、本症の副作用を有するリンコシンを過剰投与し、もって、スエ子の本症を増悪させたものである旨主張する。

そこで検討するに、前記認定のとおり、被控訴人蒲池医師は、四月一四日夕刻にスエ子をカマチ病院に入院させて診察の結果、全身に発疹を認めたものの、当時風疹が非常に流行していたことから風疹による発疹の可能性が最も高いと判断し、スエ子の症状から風邪をこじらせて弱っている状況も疑われたため感染症の存在をも疑い、右発疹がペニシリン疹にも似ていることから同剤の使用を避け、リンコシン六〇〇ミリグラムの筋注を、ほぼ六時間おきに、一四日に一回、一五日に四回、一六日に二回の合計七回にわたり行ったことが認められる。

そうすると、被控訴人蒲池医師がスエ子の発疹を風疹の可能性が最も高いと診断したのは、被控訴人西川医師が風疹をも疑ったのと同様に、スエ子に発熱がなく重症感もなかったこと、当時の風疹の流行や風疹による発疹と薬疹の識別が困難であることなどに照らし、必ずしも誤診とまで断定することはできないものの、原審における被控訴人蒲池本人尋問の結果によれば、同被控訴人はスエ子の発疹を非定型の風疹とほぼ決めつけていたことが窺え(被控訴人西川医師に対しても、自分のこれまでの臨床経験からしてスエ子の発疹は風疹であると電話連絡していることが認められる。)、すでに被控訴人西川医師においては薬疹をも疑い全ての投薬を中止して抗アレルギー剤等の投与も行っていること、前記血液検査による白血球数の検査結果もまだ判明していなかったことなどに照らすと、被控訴人蒲池医師のスエ子に対する右診断はやや軽率の謗りを免れないというべきである。

そして、被控訴人蒲池医師によるスエ子に対するリンコシンの七回にわたる筋注は、前記認定のとおり、スエ子の症状から風邪をこじらせたことによる感染症の存在をも疑い、右発疹がペニシリン疹にも似ていることから同剤の使用を避けて本剤を選択したものであって、当時風疹が流行していたことやスエ子に発熱もなく重症感もなかったことなど前示事情を考慮すると、同被控訴人による本剤の選択、投与をもって診療行為上の過失とまでは断定できないものの、一方、本剤は本症の副作用を有する薬剤であって、スエ子の全身に発疹がみられ、被控訴人西川医師においては薬疹をも疑って全ての薬剤の投与を中止していることからすれば、血液検査による白血球数の判明もまだできていない段階において、右発疹を非定型の風疹によるものとほぼ決めつけたうえ、本剤をスエ子に連続投与したことは、医師としてとるべき適切な治療行為であったといえるかは疑問であるといわざるを得ない。

そこで進んで被控訴人蒲池医師のリンコシンの筋注とスエ子の本症の発症、増悪との因果関係について考察するに、前記認定のとおり、スエ子の本症の起因剤としては被控訴人西川医師により投与されたネオマイゾンが最も疑われるところであり、リンコシンは起因剤とは認められないが、本剤が投与された四月一四日から一六日にかけてスエ子の白血球数は二八〇〇/ミリリットルから一八〇〇/ミリリットルに減少し、好中球数が〇となって本症が血液学的には完成していることからすれば、本剤がスエ子の本症を増悪させた可能性は完全には否定できないところである。しかしながら、前記認定のとおり、ネオマイゾンによって起因された疑いが最も強いスエ子の本症は、右薬剤の有する通常の中毒性機序とは異なり、スエ子の薬剤過敏症に過反応性の中毒機序をもって発症し、しかも、急性で劇症型に近い進行を辿ったものであること、リンコシンハ被控訴人西川医師により三月一七日、一八日の二日間にわたり各六〇〇ミリグラムずつ筋注されているが、その際には副作用らしき症状は何ら起こっていないこと、被控訴人蒲池医師によって行われたリンコシンの投与量は常用量の二ないし三倍であるが、延べ二日間程であって、いまだ過剰投与とまではいえない範囲のものであること、スエ子の本症の起因剤とみられるネオマイゾンと本剤は全く別の医薬系統に属すること(喜多嶋鑑定人の当審での証言)が認められ、喜多嶋鑑定によっても、被控訴人蒲池によるリンコシンの筋注がスエ子の本症を増悪させた可能性は極めて少ないことが認められる。そうすると、被控訴人蒲池によるリンコシンの筋注とスエ子の本症の増悪との間には相当因果関係があると認めるには足りないという外ない。

なお、前掲乙第一号証の八及び原審での控訴人克子本人尋問の結果によれば、スエ子はカマチ病院においてリンコシンの筋注をされる際、注射をすると動悸がする旨訴えていたことが認められるけれども、喜多嶋鑑定によれば、注射の際の動悸が薬剤の副作用とみられる場合もあるが、心因性の場合も起こり得ることが認められ、右症状を呈したことをもって、同剤の投与がスエ子の本症の増悪に関係したものと認めることはできない。

(三)  カルテの誤記載等について

控訴人らは、被控訴人蒲池医師が被控訴人西川医師から本症発症についての情報を得ていたのに、殊更にカルテに風疹を疑ったかの記載をしてその旨記載した紹介状を国立病院に提出し、もって、被控訴人西川医師の隠蔽工作に加担した旨主張するが、前記認定のとおり、被控訴人蒲池医師がスエ子の発疹をほぼ非定型の風疹によるものと決めつけ過ぎたことは非難されなければならないが、国立病院では四月一六日の入院直後にスエ子の血液検査を実施して無顆粒球症と診断しており、被控訴人蒲池医師においてスエ子に本症の発症しているとの確定診断をしながら、あえて風疹ではないかと診断した旨記載した紹介状を国立病院に提出して同病院の診療を妨げたとは到底認め難い。なお、カマチ病院におけるスエ子のカルテ(乙第二号証の一)には、四月一四日の初診欄に「PCチアンフェニコール(ネオマイゾンの医学名)使用のため医薬品による皮疹との診断(西川先生)」との記載があるが、前記認定のとおり、被控訴人西川医師は四月一四日の時点ではスエ子の発疹を薬疹とも疑いつつも風疹やじんま疹等とも疑い確定診断には至っていなかったものであり、原審における被控訴人蒲池本人尋問の結果によれば、右カルテの記載は、国立病院においてスエ子の本症が確定診断された後に同被控訴人により書き込まれたものであることが認められ(もとより、右のようなカルテへの事後記載は、医師として行うべきではないことは明らかである。)、右同日の時点で、被控訴人西川医師がスエ子の本症発症の確定診断に至っていたこと、同被控訴人がその旨被控訴人蒲池医師に伝えていたことを裏付けるものではない。

4  まとめ

以上のとおり、被控訴人西川医師には、スエ子の発熱等に対する一般的検査義務違反、薬疹の発生に対する問診等を含めた経過観察不足の診療上の過失が認められ、一方、被控訴人蒲池医師にも、スエ子の発疹が薬疹とも疑われたのに非定型の風疹とほぼ決めつけ、本症の副作用を有するリンコシンの筋注を連続実施したことにつき、診療上の過失とまでは断定できないものの適切な治療行為といえるかは疑問があると指摘せざるを得ないが、スエ子の本症はネオマイゾンの投与により通常は起こり得ない薬物過敏症による過反応性の中毒性機序によって生じた急性の劇症型に近いものであって、被控訴人西川医師の右過失ないし被控訴人蒲池医師の適切さに疑問のある右診察治療行為とスエ子の本症による死亡との間に相当因果関係を認めるには足りないという外なく、控訴人らの主張する被控訴人らのその余の過失は認め難いから、結局、被控訴人らの責任を認めることはできないといわなければならない。

六  結論

以上の次第で、控訴人らの被控訴人らに対する本訴請求は、その余の判断に立ち入るまでもなく理由がないから、これを棄却すべきところ、これと結論を同じくする原判決は相当というべきである。

よって、控訴人らの本件控訴を棄却することとし、控訴費用の負担について民事訴訟法九五条、九三条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 柴田和夫 裁判官 佐藤武彦 裁判官 岡原剛)

別紙冨嶋スエ子の医療(投薬)状況並びに症状〈省略〉

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